「当たり前にできること」って、実は「すごいこと」。

 

暮らしを旅する文筆家、海月なおこです( ´ ▽ ` )ノ

現在はとある「立ち上げ」のお手伝いとして、京都に住み込んでいます。

 

 

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日々お手伝いを重ねながら実感しているのが、「当たり前にできることこそ、すごいのだ」という事実。

 

たとえば私は『文字を読んで理解する』『理解したことを文字にあらわす』ことを日常的に行なっています。このブログも然り、文筆業も然り。

日常的なことだから、誰しも当たり前にできるものだと最近まで捉えていました。

 

しかし、そんな私の日常を「すごい、私にはできない!」と重宝してくださる方がいらっしゃったのです。

 

またまた上手いこと褒めて。そうは言ってもやればできるんでしょう?と、軽く受け止めてしばらく時間をご一緒してみると、どうも本当に苦手なご様子。

そんな相手は私の苦手とするところをいとも簡単にこなしているので、「すごい、私にはできない!!」驚くことしきりだったのでした。

 

 

 

「当たり前にできる」人に任せたほうがいい理由。

 

先ほどの例でいうと、『文字を読んで理解する』『理解したことを文字にあらわす』ことを私がやるのと相手がやるのとでは、かかる時間におそらく倍以上差が出ます。

それに加えて、作業にともなうストレスの量も質も大きく異なってくるでしょう。

 

私はそれを楽しみながらさらりと行うけれど、

相手はそれを眉間に皺寄せながら徐々に行う

 

 

これが『地域の人との情報交換』になると立場が逆転し、

 

相手はそれを楽しみながらさらりと行うけれど、

私はそれを眉間に皺寄せながら徐々に行う

 

 

それぞれの場面で、どちらが行うほうがより充実した時間になるかは一目瞭然ですね( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

本質で繋がって、小手先で分かれるのが最上

 

「類は友を呼ぶ」といえど、全く同じような「友」だったら広がりようがありません。深まりはするだろうけど。

もし一緒に繁栄していきたいのであれば、ちょっとくらい違う一面を持ち合わせていたほうがかえっていいのです。

 

「自分とは違う、だからいけない」と切り捨てるよりも、「自分とは違う、だからこそいい」と絆を強められるほうが自分にも相手にも優しくいられる心持ち。

・・・そんな余裕を持つには相手への敬意が不可欠だから、まず第一に尊敬できて大好きな人と関係をもつのがなによりの方策ですね。

 

「まるっきし同じがいい!」と自他に求めるのは女子高校生までで止めといて。

「同じじゃなくって全然いい!」と違いを許せる温かな繋がりを育んでゆきたいものです。

  

「まるっきし同じ」だったら、せっかくの「すごいこと」も「当たり前」で一蹴されてしまうから。

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます(*^^*)

 

 

 

 

 

 

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