『悪者探し』を重ねたところで、『悪者』なんていなくなりません。むしろ…

 

 

他者とのコミュニケーションが上手に取れない。めちゃくちゃ苦手。

→ それってもしかして、「発達障害」の影響かも???

 

という内容の記事を昨日更新しましたが、

 

www.um-nao.com

 

 結論のあたりで

「なんだかおかしい」「人と違う」原因を探りすぎるのって、あんまり収穫はないのです。

・・・と書いた部分について、ちょっと補足します。

 

 

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「おかしい」原因を探りすぎると精神を病む

 

ソースは私の実体験から(`=ω=´)

 

「おかしいな〜」と感じる違和感について、ある時期ひたすら原因探しをしたことがあります。原因探しというより、悪者探し。

で、続けるうちになんとなくの『悪者』は見つかったのですが・・・

 

見つけて気分が晴れるどころか、思いっきり落ち込みました。

 落ち込むという表現さえ生温く感じるほど、とにかく悩んで病みました。実際に心療内科に通院して薬を処方されて息も絶え絶えになるくらい。

 

だってほとんどの『悪者』って、過去や他人。手の施しようがない場所から、苦しい影響を及ぼし続ける存在。こりゃもうダメだお手上げだ、ってなるしかない。

 

 

『悪者探し』に救いはない

 

「なんで?」の知的好奇心が満たされて、「なるほどね」と納得する気持ちよさはありますが、じゃあそれで現実が変わるかといえばそうじゃない。

 

もちろんある程度の原因が判明すれば、現実的な対処法も見えてきます。

見えてきた対処法を『実行』することによってのみ、現実は変えていけるのです。『対処法が見えた』ところで歩みを止めているうちは、なんとなく安心感はあれど、現実はちっとも好転していない。

 

『実行』のために踏み出す一歩ってときにものすごく億劫でハードだから、まだまだ情報が足りていないと言い訳して『悪者探し』を続ける人、結構いますよね。

『悪者探し』で現状維持を続けるから「変えなきゃいけない(と思っている)」現実が一向に変わらず積み重なっているのに、その積み重ねを見てますます重い腰が重くなり、『悪者探し』を続けていく悪循環。

 

・・・それを続けていると、結局重さに耐えきれなくなって心か身体が壊れます。

 

 

『悪者探し』は気づいたらやめるのが吉

 

悪循環にはまるように、『悪者探し』って習慣化しやすいもの。

 

他人や過去のせいにして自分を正当化するの、とっても楽なんですよね。ここでの「楽」は「安易」とも言えます。

だって自分はちっとも変わらなくていいんだもの。

外部に原因があるうちは、変わらなくていいし、変わりようがないし、かわいそうな自分でいられるから。周りからも理解や同情を、たやすく与えてもらえるから。

 

『悪者探し』して『悪者』を見つけてそのせいにしているうちは、『悪者』なんて消え去りようがないんです。

 

だって『悪者』って言い換えれば、『都合のいい(体のいい)言い訳』だもの。

「変わらなくていいかわいそうな自分」を演じ続けるためには、綺麗さっぱり『悪者』が消えてなくなることのほうが脅威です。

だから意識的にしろ無意識にしろ、常に自分に害を与える『悪者』を人生に登場させちゃうんですね。で、悩んで悩んで悩み続ける。

 

本気で『悪者』と手を切りたいなら、『悪者探し』をやめるほかありません。

 

現実を変えるために、自分から一歩踏み出すしかないんです。

なにかの踏ん切りで習慣を変えていかないと、いつまでたってもしんどい状況はしんどいまま。

 

「しんどい!」とぶーぶー文句を垂れたところで、救われる人なんて一人もいません。

むしろ「あっ、この人めんどくさい人だ」と気づいた人から離れていく始末。本当に知性のある人って、自分の人生を最適化するために「めんどくさい人を切り離す」術を備えているものだから。

・・・そういう未来を望んで生きたい人だけが『悪者探し』に勤しめばいいと思います。

 

 

 

 

 

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます(*^^*)