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「やらなかった」でも「できなかった」でもなく、「知らなかった」だけのこと。

 

最近めっきり春めいてきたからか

素敵な人たちとの出会いが重なったからか

やぼーーーをふつふつと思い出しました。

 

たしかにかつては抱いていたのに

いつの間にか、暮らしのあれこれに紛れて

すっかり意識の外に追いやっていた。

 

 

私のやぼーーーは、

 

生きているのが楽しくなる

「人生の学校」をつくること。

 

 

 

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生きるのが楽しい、だなんて

20歳になるまで思いもしなかった。

 

 

もちろんそのときどきで

「快」「不快」はあったけれど

 

根っこにあったのは受動的な義務感。

 

朝だから起きなければならない、

学生だから通学しなければならない、

親だから感謝しなければならない、、

 

目の前にぶら下がっている

「ねばならない」をひたすらこなす日々。

 

 

人生なんて

誰かから与えられた「義務」を

全うするための持ち時間なのだと思ってた。

 

勉強、習いごと、いい子でいる…

 

それがどんなに嫌なことであっても

「義務」だから「やる」以外に道はない。

 

 

そうやっていつしか、

我慢して従うことを身につけた。

自分で自分を殺す術。

 

「学習性無力感」というやつ。

 

 

大学進学と同時に親元を離れてから

やっと一息つけるようになって、

安心して少しずつ自分を出すようになって

 

『これまでの生きかたは辛いだけだよ』

言われるような現象が次々と起こり、

 

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あげく人生を放棄してみたくなったりして

 

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そこでやっと、

人生の主導権を握っているのは

自分なのだということに気づけました。

 

 

そんなに大切なことを

文字通り命に関わることを

なんでこれまで知らなかったんだろう?って

犯人探しをしてみたり。

 

犯人というか、まあ直接的な原因は

親に他ならないんだけど。

 

 

大学での研究テーマは親子関係にして

関係性、自立、青年期、期待、などなど

あらゆる角度から解明を試みました。

 

論文を読んだり統計をとったり

議論を重ねたりしたけれど、

 

結局スッキリしたのはこちらの本に出会ってから。

 

 

人生を与える親、奪う親の比較一覧があって

うちはまさに「奪う」ほうでした。

 

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客観的な文字として書かれていることで

自分の感覚は間違ってなかったんだと安心できた。

 

それと同時に、

世の中には「与える」親もいるのだと知って

私は「与える」ほうになりたいと思った。

 

 

でも、どうやって?

 

 

親子関係なんて、私が触れたものしか知らない。

それが「奪う」のか「与える」のかも、

この本を読むまで判別できていなかった。

 

たぶんうちの親もそうだったんだろうなーと

そのとき感覚で分かりました。

 

「それ」しか知らなかった。

他に選択肢があるなんて、思ってもみなかった。

 

 

きっと親の親も、そのまた親も、

そんな連鎖のなかにいたのだと思います。

 

犯人探しで見つけた犯人は、被害者だった。

 

 

とはいえここまで命を繋がれてようやく、

私は他の選択肢も知ることができた。

 

いくつか選択肢があれば、主体的に選べる。

自分の人生の主導権を行使できる。

生きてる実感をもつことができる。

 

 

本当の犯人=「それしか知らない」連鎖

断ち切るべく、「それ以外」を選んでみようと思った。

 

そのためにもまず、

「それ以外」=他の選択肢

できるだけ触れてみようと思った。

 

紙面上じゃなく、実際の生きた人間を通して。

 

 

 

 

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(2016年3月執筆記事を再掲載)

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます(*^^*)

 

 

海月なおこ