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「させられる」教育とは一線を画して、「場を楽しむ」ための教えを受けたこと。

 

▼こちらの記事の続きです。

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「はたらく」という大義名分をもって

普段なかなか足を踏み入れない世界で

ときめきながら貯まっていったお金。

 

ちょこっと予算に余裕ができたので

デンマークに本格的に飛び立つ前に

フィリピンへ語学留学にも行きました。

 

 

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ゆるやかな常夏で過ごした2週間、

朝、昼、晩とみっちり英語漬け。

 

ほとんど観光はしなかったけど、

人の温かさに励まされた日々でした。

 

 

短期生ながら、スピーチコンテストに

挑戦することにもなり\(゜□゜)/

 

『もっと自分勝手に生きろ』

 

そんな話を大勢の前で発表したりして。

 

 

コンテスト出場を決めるまでは、

人前で話すことが嫌で嫌で仕方なかった。

 

とはいえ一緒に学んでいた友人が

「Naoはあと少ししか居られないから」

彼の出場権を譲ってくれたんです。

 

心からの優しい申し出だったから、

やってみることを決意した。

 

決めたら世界は本当に優しくて、

たくさんの励ましと応援をもらった。

 

授業だけど特別に時間をとって

指導してくださる先生もいらっしゃいました。

 

 

『いい?Nao、

 あなたがステージに立つときは

 そこに立てる喜びと、誇らしさを胸に

 めいっぱい瞳を輝かせてね。

 

 にっこり微笑んで観客を見渡したあと、

 満を持して口を開くの。

 

 焦って早口にならないように、

 大事なところほどゆっくり伝えるのよ。

 

 最後に Thank you も忘れないで』

 

 

そう教えてくれた先生の表情は

本当に輝いていて、美しかった。

 

彼女は “これ” が好きなんだなって

表情と言葉でびりびり伝わってきて

 

いつしか人前に立つことの苦手意識も

やんわりと和らいでいたのでした。

 

 

振り返ってみればそれまでは、

学校での登壇も習いごとの発表会も

「させられる」ことしかしてこなかった。

 

この子のため、とかそういうのじゃなく

「やるのが当たり前」な雰囲気のなか。

 

緊張して変な汗かきながらも

ただただやるべきことをこなす。

 

上手くやるのが当たり前。

失敗したら怒られる、笑われる。

 

「場を楽しむ」なんて発想が

これっぽっちも起こらなかった場所。

 

 

・・・を、「楽しんでみよう」

前向きに捉えられるようになったのは

ひとえに先生の情熱に触れたから。

 

ひとと生身で付き合うって、

ものすごくパワフルなことだった。

 

それまで真っ暗だった領域が

光に触れてぱあっと明るくなるの。

蝋燭を媒介して炎が広がるように。

 

いちど心に灯ったあかりは、

揺らぎながらもずっと照らし続けるの。

 

 

「生きた学び」を提唱したデンマークの哲学者は

「教育」という従来の言葉をきらって

「あかりを灯すこと」と呼んでいたという。

 

言語は違えど、人間同士、感覚は同じ。

 

あかりがないなら、

それをもつ人に会いにいけばいい。

 

あかりがすでに灯っているなら、

それを他の人と分かち合えばいい。

 

 

蝋燭から蝋燭へ炎をうつしたところで

なくなるわけじゃないでしょう?

 

それはむしろ、

うつすほどに広がっていくもの。

 

広がるほどに明るく、温かくなるもの。

 

 

だから「あかり」それ自体は、

もっていてもいいし、なくてもいい。

 

分け与える嬉しさも、新たに灯る嬉しさも同じ。

 

「あかりを灯すこと」、なんていい表現。

 

 

 

思いがけずフィリピンにて

「生きた学び」を実感してから

 

いよいよ

「生きた学び」提唱の地・デンマークへ。

 

哲学が現実に形となった『人生の学校』、

それを日本人の私が体験したら

どんな化学反応が起こるのかわくわくしつつ。

 

 

 

▼続きはこちら

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(2016年3月執筆記事を再掲載)

 

 

 

【 ちょこっと追記 】

 

「フィリピンで働く人って、心から笑っているよね。すごいなぁ」

・・・同じ時期に留学していた日本人女性がしきりに言っていたこと。

 

彼女は日本で社会人経験を積んでいたのですが、職業柄「仕事だから笑う」という種類の表情を身につけたらしいのです。毎日毎日その笑顔に囲まれていたからこそ、フィリピンでの「社会人の笑顔」は、本質的に全く別のものに見えたそう。

 

「させられるから、やる」のか、「楽しむために、やる」のか。

 

小さいようで大きな教育現場の違いは、実は道を歩いていても気づくレベルで社会に影響を及ぼしているのでしょうね。

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます(*^^*)

 

 

海月なおこ